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昭和三十年代主義―もう成長しない日本

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定価: ¥ 1,680
価格: ¥ 1,680
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メーカー:幻冬舎
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カスタマーのおすすめ度:     

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Binding: 単行本 EAN: 9784344014916 ISBN: 434401491X Label: 幻冬舎 メーカー: 幻冬舎 Number Of Pages: 410 Publication Date: 2008-04 Publisher: 幻冬舎 Studio: 幻冬舎
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スポットライトレビュー:
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評価:      概要: 個人的には共感するが、疑問もいろいろ湧いてくる コメント: まず素朴な感想として、時代の感性が大きな転換を迎えている徴候として例示されるものが、いかにも「表層的」で恣意的な印象を与える。著者もそれは自覚していて、「社会的ブームを取り上げた著だけに、この(執筆の)遅れによって、テーマが古くなってしまうかもしれない。そんな懸念も感じました」(p380)と言っている。ただし直後に、「幸いそれは杞憂だったようです」と続くのだが…
「杞憂だった」と著者が言えるのは、もちろん「美化された昭和三十年代ユートピア」に算入可能な現象が後を断たないためだが、より根本的には「日本はもう成長しない」という確信があるからで、「日本の経済と社会とがさらなる成長へと直進できるとする、政府から経済の専門家、各界の識者たちの認識は、やはり間違いだった」(p380)と言い切っている。だとすれば、いずれ景気が回復すれば収束する「ブーム」と思われているものも、これからの時代の基調音として評価されるべきだろう。あるいは、「『過去の捏造』とは即、『未来の構想』にほかならない」(p78)と言われるように、一つの思想にまで昇格するだろう。
ただし、「日本はもう成長しない」ことを説くために著者が持ち出す論点は、ほぼ消費的欲望の飽和・成熟化のみと言って過言ではない(p148〜)。直感的には私も同意したいのだが、しかし、この議論は直感を超えてどこまで立証可能なのだろうか。バブルの渦中にはカタストロフを予期できないように、閉塞の中では閉塞が永続するように感じられるのではないか(時代の鬱状態)?
最後にもう1点。著者は東京オリンピックにおける「町殺し」を論じる中で、首都高が日本橋周辺の景観を破壊した、「三丁目の商店街の人々も、(中略)静かな憤りを漏らしたかも」しれない(p342)、と書く。しかし昔の『鉄腕アトム』や真鍋博の未来都市の空中には、チューブ状の道路が縦横無尽に張り巡らされていたように思うし、映画『惑星ソラリス』(72)の未来都市の撮影は首都高で行われたとも記憶する。当時の多くの人びとは、それを魅力的に感じたのではないか。
評価:      概要: 「成長という夢は無かったことに」「いや今更無理ですから」 コメント: 本書は単に昭和30年代へ戻れというような懐古物ではない。
成長と進化を是としまた前提としてきた「大きな社会」がもはや打ち止めになった今、家族や友達と言った身の回りの「小さな社会」での充実を目指そう、そのアナロジーとしての「昭和30年代」である。
そうしたコンパクトな社会への回帰というのは、都市論などでも近年見られる論調であり特に目新しいものではない。
しかし「消費者」という最強の印籠を手にした我々が、果たして足並みそろえてせーのでその印籠を手放すだろうか?成長と進化への欲望を、消費の欲望を一斉にやめられるだろうか?
それに今の若い世代は、この社会を作り上げてきたおじさんたちに「僕らの抱いてきた夢は間違っていたのでなかったことに」とか言われても「今更言うなよ」としか返せまい。
もちろんそういう時代だからこそ、消費社会という広がりすぎた風呂敷を閉じるのは有効な策かもしれない。
が、消費と生産のゲームは降りたら負け組一直線のチキンレースと化している。
そんななかで皆がそろって「ゼロ成長を前提にした小さな社会へ」動くほど足並みの揃った国ではないと思う。
評価:      概要: 昭和30年代なんていらねぇや コメント: 偶然にも著者と同じ年に生まれ、似たような趣向を持って過ごした者だが、昭和30年代なんかより今の方がずっと良いじゃんとしか言い様がない
かつて理想とされた国々がその醜態をさらし、最早地の果てにシャングリラを夢みる事を許されない文化人は、時空の果てに理想郷を設定するしかないんだろうか?
読ませる本ではあるんだけど、昭和30年代ノーカムバックの意を込めて星一つ
評価:      概要: 「成長しない時代」の思想の提示 コメント: 現代の若者が「つながり系」「ひきこもり系」という二極分化を起こしていることについての
精神科医・斎藤環の指摘を読んだとき、「これは重要なことだ」という直感があった。
だが、大きなパースペクティブでどういう意味を持つのかわからず、もどかしい思いをずっと抱いていた。
本書第8章において、著者はこの事象が日本社会の大きな変化の一環であると明快に位置づける。
実に明快である。浅羽通明は、やはりすごい社会批評家なのだ。
だが浅羽通明は社会批評家として以上に思想家である。
もはや日本は成長しない。いずれ世界だっていつまでも成長を続けられるはずがない。
そういう時代において人はどう生きればよいのか。それを考え抜くのが思想家である。
昭和三十年代主義という「思想」は、私たち日本人にとっては拍子抜けするほど平明なものだ。
ある意味、卑近なほど近しいものであり、こんなものを「思想」と呼んでよいのか躊躇うほどである。
だが、やはりこれは思想なのだ。
その「小ささ」「平明さ」こそが革新的であるという逆説の時代に私たちは生きている。
マルクス主義が遠く去り、近代合理主義が黄昏れ、経済成長主義が限界を迎えつつある現在、
19世紀に生まれ20世紀を騒がせた「大」思想が退場する時代に、私たちは生まれ合わせてしまったのだから。
評価:      概要: うーん、緩み系というのでしょうか コメント: ニセ学生マニュアルシリーズからの読者としては、正直なところ本書には戸惑いを
覚える。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』や小説『模倣犯』をテキストに
平成日本の大衆の心情を読み解いていくというアプローチには異論はないし、作品の
選択や着眼点にも部分部分には流石と唸らされた。
しかし、しかしである。全体を通じて、あまりに毒がなさすぎて、これがあの澁澤論の
白眉『澁澤龍彦の時代』を書いた同じ著者の筆になる書物とは信じられない。新しい
読者層の獲得を意識してか、「ですます体」を採用しているが、この新文体の採用も
講演録ならばともかく、浅羽評論としては、今までにないスタイルで、ここにも
違和感を感じた。
戦略家の氏のことだから、別の角度から光線をあてると新たな図柄が浮かんでくるような
仕掛けがあるのかもしれない。しかし、私にはそこまでは読めず、どこかにエッジの立った
叙述がでるのかと読み続けていくと、とうとう最後まで「昭和30年代」への素朴な
オマージュとして終始している印象だった(あとがき382頁に、個人的にはあんな
時代は大嫌いだという記述はあるが)。
唐突な連想ですが、マンガの『ヨコハマ買出し紀行』のような印象を持ちました。
芦奈野ひとしのあのマンガも嫌いではありませんが、あれは雑誌のなかにあると他の
マンガとのバランスで楽しく読めるものであって、単行本で読むとちょっとぬるい
感じがしてしまうものです。SF評論家ねずまさし(=浅羽通明)は、『買出し
紀行』には辛目の採点になるような気がします。
浅羽通明評論の異色作ということでしょうか?
いつものように、これから読んでみたくなる著作、見てみようと思う映画等への
ガイドにはなりました。
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